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HIRO's Blog

   

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ひろと生物多様性とCOP10 その4

 あと残すところ1週間。 
そう1週間しかない・・・ 
今日は自分がそもそもこうったNGOの活動をはじめるきっかけとなった先輩と会ってきた。 

ECPが立ち上がり、ASJ(ロスゼロ)側の準備も進んでいく。 
はじめはそちらも自分がやることも検討していた。 
しかしそんな中二つの団体として共同運営をするのであれば、 
自分がECPの代表、ASJ(ロスゼロ)の代表、がけいきの代表の3つの代表をするのは組織的に不健全という話になる。 

そのときにえぐちがロスゼロの代表をやりたいといってくれたことはいまでも覚えてる。 
そして、今のECP代表まいまい、ロスゼロ代表えぐちという体制ができあがった。 

そして3月27日。 
ロスゼロのはじめての勉強会を開催。 
アース、せっきーが参加してくれた。ここからこの二人も最後まで一緒についてきてくれた。 

4月11日 
そしてがけいきが立ち上がる。 
といってもこのときはがけいきじゃなく、Biodiversity on the turn実行委員会。 
ここから名称を決めるのに相当苦しんだ記憶がある。 
はじめてのミーティングにはいろんな人がきてくれた。 
自分の呼びかけにあんなにたくさんの人が集まってくれたのがほんとにうれしかったのを覚えてる。 
半分くらいのメンバーが残って半分くらいのメンバーは去ってしまった。 
このとき、それから何回かののミーティングは事務所近くの生ハムってお店で。 
ここを知ってるかどうかがポイントですw 

フォト
そしてがけいきは5月22日、国際生物多様性の日に向けて動き出す。 
なにより団体名が決まらない、決まらない。 
Biodiversity on the Brink(COP9であったユースのイベント)みたいな団体名がいいんだよーとさんざん言われ、悩みぬいた揚句、じゃぁがけっぷちの生物多様性(Biodiversity on the brinkを和訳しただけ)ってタイトルでいいやんと提案し、それがそのまま通ってしまったというのがいまのがけっぷちの生物多様性キャンペーン実行委員会の名前の由来。 
自分たちのキャンペーン名を来た人に自分たちの問題意識が伝わるようにと思ってそしてだからこそ動く必要があるって伝えられるようにと思ってこの名前にした。 

実は若干?ぱくりだったという・・・でも長すぎるとかでいろいろ不便だけどすごく愛着のある名前。 
がけいきっていう愛称はなながつけてくれた。がけっぷちの「がけ」と、生物の生を訓読みして「いき」。音だけ聞いてると「崖行き」みたいでなんかやだと笑ってたのがなつかしい。 

5月22日まで本当に時間がないなか、がけいきの人数はまだ本当に小規模。 
たくさん集めるために毎回MTGに新しい知り合いを読んだりしていた。 
そんな中2つのビックイベントが開催。 
4月末にあったエコ・リーグの合同新歓とASJの新歓イベント。 
どちらも新入性など新しい生活がはじまり、これから活動をしていきたい人を対象に巻き込み、活動にいれていくためのイベント。 

ひろ、えぐち、アースの3人でこのイベントに向かい、がけいきの説明を行い、メンバーの巻き込みを図った。 
このころからがけいきが本当に人数規模の大きい組織となってきた。 
たった数人ではじめた活動がいままでとは違い大規模な活動になってきた。 
さまざまなイベントにいったり、地域勉強会で培ったつてを活かし、メンバーを増やすのに力を注いだのを覚えてる。 

新歓オリ終わってはじめてのミーティングはボルネオにいっていたため、実は数少ない自分が休んだミーティング。 
でもその次のミーティングでたくさんの人がいるのをみてびっくり。 
このメンバーががけいきの中核を担うメンバーになっていった。 

がけいきのはじまり。 
あと1週間で終わるがけいきのはじまり。

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ひろと生物多様性とCOP10 その3

 あと8日。 
今日は最後の解散をどのようにするかについて相談してきた。 
現実味がどんどん帯びてくる。 
この日記はもうかなり自分の備忘録と振り返りの要素ばかり。。 
興味ない人ごめんねw 


ちょうど一年ぶりのカナダ、モントリオール。 
(経由地のアメリカでの入国審査でパスポートの写真と自分が違いすぎて30分くらい捕まったのはお約束) 

こばち、じょせふというASJのメンバーふたりと3人での参加。 
二人は慣れいたけど、自分は初めて会議の中に入った。 

NGOルームでのミーティング、いろんな海外NGOの人たち、 
条約事務局の人たちとのミーティングに参加させてもらってユースの担当者との方とあったりもした。 
なにより、COPではないにしろ、同じ枠組みで行われる会議に参加し、代表団の方たちと話をし、 
日本政府とNGOとの対談の場をセッティングしたりした。 
フォト

ABS(遺伝資源の利用へのアクセスと公正・衡平な利益配分)が本当に生物多様性を守るために機能するかどうかは会議にいくまで正直疑問だった。 
実際にいってみてやっぱり機能するしないは別として、生物多様性を守るためということがそもそもそんなに重要視されていないことを感じ(一応そういった文言は入ってはいる)、ABS自体はとても重要なもので必要なものではあるけれど、やっぱり自分がメインとしてやっていくものではないと、改めて感じる。 

この会議の中で、他にも参加したCBD市民ネットの人たちとたくさん話をして、 
そこで生物多様性講演全国回りの話をはじめいくつかの話が持ちあがる。 

この話がのちのちエコ・リーグによる地域行脚につながる。 


帰国した自分は改めてCOP10に向けた活動をしたいと思いながら、 
この重要性をエコ・リーグの運営メンバーなどに伝えるために企画書、予算書、生物多様性とは?といったものの準備を始める。 
この準備はむちゃくちゃ苦しかった。 
コーヒー飲みながら徹夜することもしょっちゅう。 
でもそのおかげで今の活動がある。みのさんに本当にお世話になった。 

この時作った、生物多様性とは?COP10とは?のスライドはいまだに使ってる。 
(当時30枚弱だったスライドはいろいろ改定を加えながら最終的には60枚を超えるスライドに。) 
エコ・リーグの新旧理事にその重要性をひたすら話して理解してもらおうと、話しまくった覚えがある。 

そして正式にエコ・リーグの事業としてエコ・リーグ CBD-COP10 Project(以下ECP)が立ち上がる。 

この時から自分が考えていたことは、 
エコ・リーグとA SEED JAPANの共同事業計画。 

全国ネットワークを持つ横に広いエコ・リーグと国際会議の経験が豊富でイシューを深めるのに強いA SEED JAPANこの二つのユースNGOがいっしょに活動をすればすごいものができるんじゃないか! 

大規模なアクションだってできるはずだって、そう思った。 
留学前から考えていたそのことを実行に移したいって思った。 


そして12月23、24日 
エコ・リーグとASJでのCOP10に向けた合同合宿。 

そのとき書いた紙が実はいまだに俺の部屋に飾ってある。 
ずっと放置してていまあらためて見直した。 
そこにかかれている体制、メンバーはいまとは全然違う。 
アクションがやりたかったんだなー 
大規模なキャンペーンがやりたかったんだなー 
政策提言の要素薄くないかな~ 
イシューほんとによくわかってなかったんだなって思われることが書かれて、 
俺こんなんだったのかって感じ。 

でも、確かに 
「ユースが考えるポスト2010年目標」 
それを作るって書かれてる! 

当時はもっとポスト2010年目標のことがわかっておらず、 
いまとは違ってゼロベースで作るイメージだった。 
でも、確かに「ユースが考えるポスト2010年目標」ってそう書かれてることがなんか嬉しい。 

あまり意識はしていなかったが、 
このときの合宿で話していたことは今から思えばがけいきの基礎を話していたんだと思う。 


そしてECP Tシャツの完成。 
これは今回のCOP10通して最大の失敗・・・ 
売れないキャンペーンTshirtほどつらいものはないことを知った。。。 


12月27日 エココン 
自分にとってはじめての生物多様性についてのプレゼン。 
事前に練習をしていたこともあったが、いままで一番しっくりくるプレゼンだったかもしれない。 
40分近く話をしたのになんでこんなにしっくりきたんだろうと逆に疑問を感じた。 


そして1、2月 

1月11日 COP10に向けて活動家のためのスキルアップ講座 イベントコーディネート 
1月16日 気候変動×生物多様性講演会 企画サポート 
1月17日 生物多様性講演会@大阪府立大学 エコロ助 
1月21日 生物多様性講演会@東北大等   RNECS 
1月30日 生物多様性講演会@大阪大学   GECS 
2月6日  生物多様性講演会@山梨県立大等 山梨エコユースフォーラム 
2月8日  生物多様性講演会@北海道大など WACCA等 
2月16、17日 中部生物多様性会議@名古屋 イベントコーディネイト 
2月20日 生物多様性講演会@愛媛大など  HOPE 
2月26日 生物多様性講演会@東京都市大  Green days 

途中まではまとめてたのでそれを抜粋。 
いや、いろいろいったね、まじで。 
でもはじめは本当に講演会やっても人来なかった。 
大学サークル向けにやるとある程度人集められたけど、 
施設とってオープンにやるとほんとにもうひと来なかった。。。 
フォト

この頃は本当に忙しく、でも当時自分にとってなにより大切な大事な時間も削って活動したのがつらかったのは覚えてる。 
休む暇なかったので地域回って地酒かって家で飲み日本酒の味を急激に覚えたのもこのころだし、北海道から愛媛まで生物多様性の講演に回って自分の生物多様性ネットワークを作ることができたし、なにより自分の中で「生物多様性」が大きく変わった。 

伝えることで自分自身の知識、理解がパワポをどんどん改訂しながらどんどん深まっていった。もともと理系だし、興味ある分野でもあったけど、人に教えるっていう過程をふむと習熟度が全然ちがう。 

自分が最終的にロビイング活動を行うことができたのは、これだけのプレゼンの場数とひたすら講演会にいったりだとかっていう勉強とこまごました用語や自分の間違いをずっと教え続けてくれたまいまいのおかげ。 


そしてもうひとつの重要な成果として全国に仲間が増えた。 
この頃始めたTWitterもその重要な一役を。 

忘れられないつぶやき。 
「 いま生物多様性に、COP10に取り組みたいと思っている若者ってどれだけいるんだろう? 
まずは、なにかしたい。それだけでいい。  
どう巻き込んで、協力していってもらえばいいのだろうか?」 


このつぶやきにただ一人、 
「はい!」 
って言ってくれた、なお。 
COP10まで活動を支えてくれた重要な一人。 
あの返事はうれしかった。 


この時期忘れちゃいけないのが膨大なロジ、会計タスク、 
某助成金の申請方法を覚え、処理能力があがったのも今の自分を支えている。 
会計系の能力は鍛えられました。(半泣きになりながら) 


自分自身も、ECPも、関東以外のユースの人たちも、ASJとしても、ロスゼロも 
いろんな準備に走り、その基盤ができたのが1~3月。 
大きく、目立ったことはしてないかもしれないけど、土台ができたのはここ。 

がけいきができて、はいってきたみんなは知らないかもしれない。 
でもそれまでを支えてきてくれた人はほんとにたくさんいる。 

もう卒業したECPのメンバーだったり、自分をこの分野に巻き込んでくれた人であったり、 
自分にABSを、国際会議を教えてくれた仲間がいて、次の世代を考え助けてくれたNGOの人たちがいて、なによりこのころから自分を支え続けてくれた仲間がいる。 

そのことに本当に感謝。 

今日の内容は下積みって感じだったのかな。 
知識、経験、ネットワークいろいろ急に増えた時期でした。

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ひろと生物多様性とCOP10 その2

 残り9日。 

2009年の9月のギャザが終わり、 
腰が据わってまずは身の回りのいろんな人に相談をはじめる。 
そしてエコ・リーグで生物多様性のプロジェクト立ち上げに向けて動き出したのもこのころ。 
個別でCOP3の経験者とあったり、そのときなにをしたかについて聞いて回ったりもした。 


そして10月1日。 
もともと運営メンバーには興味があったものの、 
とりあえず見学のつもりでいったCBD市民ネットの運営委員会で 
もろもろのミスコミュニケーションにより、いきなり運営委員になるかどうかの審議。 
もともとやるつもりはあったので、ユースということ評価されよくわかってないまま運営メンバーに。 
でも、今から思えば自分がCBD市民ネットのメンバーになったことは本当に大きなことだったと思う。 

WWFや日本自然保護協会、野鳥の会など日本の生物多様性関係大手NGOも所属するこの団体に入り、日本のNGOの窓口となる団体に自分が入ったこと、ユースとしての窓口となれたこと、 
今考えれば考えるほど重要なことだったと思う。 

このころCOP10を生物多様性を勉強するためにあちこちの勉強会に参加。 
当時、ちょうどCOP10の1年前ごろということもあり都合よくさまざまな勉強会が開かれていた。 
そして10月12日にあったエコ・リーグの理事会に参加し、 
10月15,16日 神戸生物多様性国際対話に参加しに神戸へ 
ポスト2010年目標(現愛知目標)の日本案の正式発表ダイアログへ 

がけいきがポスト2010年目標を取り上げたのは自分がこのイベントに参加したのも実は大きいのかもしれない。 
もっといえばこのとき自分は大阪府大の友達の家に泊まってた。 
そのときたまたまななの誕生日企画が!! 
そこにあほなかっこで突っ込んでいったのが懐かしい。 
あの時は何も考えていなかったけど、気がつけばとても大事ながけいきの仲間。 

そして11月1日 
こばちから突然の電話。 
「モントリオールに行こう。」 
カナダ、モントリオールでABS-WG8というCOP10のためのABSについての準備のための会議が開催される。 
この時点で自分は国際会議の中に入れた経験はない。 
COPのイメージもない。 
COP10に向けて活動するのであれば知っておく必要がある。 

それはたしかにそうだけど・・・ 
その会議11月9日からなんだけどっていう・・・ 

いろんな人たちに相談し、カンパもしてもらって、 
そして予定の調節とタスクを処理しながら渡航に向けての準備。 
ありえない量の資料をこばちに渡されたのは忘れられない・・・ 
全部英語だし。 
(全部読めとさんざん言われたけど、やっぱり無理でした。) 

でもやっぱり自分がCOP10でちゃんと活躍できるようになるためにも、 
まだCOP10でなにをしたらいいのかもわからなかったけど、 
それを知るためにもABSについて取り組むためにも行く必要があると思ってたから行くことに決めた。 

このときの自分にはまだ生物多様性の中のどの問題をとりあげるかっていうイシューはなかった。ユースをまきこまなきゃってだけで。 
だからABSを自分のイシューにすることも考えて、日本を出発した。 

(ちなみに地味に7日はエコ・リーグのCOP10プロジェクトのキックオフでした。しかしおそらく新型インフルエンザによりダウンした自分はこの日休んでしまいました・・・そしてカナダにはタミフルで無理やり熱抑えたままいってきたという・・・今だから言えるはた迷惑な話) 


過去の日記見ながら書いてて、自分でも昔こんなこと思ってたんだっていまさらながら思い出す。 

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ひろと生物多様性とCOP10 その1

 今日、11月23日にがけいきが解散することが決まりました。 

あとたった10日。 
なんか泣きそう。 


自分ってCOP10に向けて、生物多様性の問題に向けて何ができたんだろうって考えてみる。 
この10日間でちょっとずつ振り返ってみようと思う。 


自分がCOP10に取り組もうって思ったのいつか、正直あんまり覚えてない。 
身近にいた人が当時生物多様性の最前線を行っていた人で、 
その影響を受けながら 
08年の洞爺湖サミットいったぐらいからなんとなくCOP10に向けてって考えていたのは覚えてる。 
でもあくまでもなんとなく。 
だからどこがスタートかはちょっとわからない。 

とりあえず留学前の自分の日記にも 
「これからの活動は日本に留まらず、世界を相手にやっていきたい。 
2010にあるCOP10にきちんと英語を聞き取り参加できるよう、鍛えてきます。 」 

って書いてあった。 


08年の11月か12月くらいに09年9月のエコ・リーグの全国ギャザの代表をやろうと思ってそのテーマについて考えていた時迷わず生物多様性を選んだ。 
留学先のカナダ、アメリカにいたころから意識はしていたの覚えてる。 


アメリカでいろんな自然を見て回りながら、 
いろんなことを感じ、いろんなことを考え、 
植物が好きだった自分(syoku)が、自然全般を好きになり、 
研究者になろうと思っていた夢が活動家(ひろ)として(生物多様性ではなく、)環境問題に取り組み続けるという夢に変わった。 

「(人も含めた)自然がそのものらしく在れる世界」を目指したいっていう荒唐無稽な、でも自分の中でなによりしっくりくる大事な想いもこのときできた。 
友達と話してて言われた何気ない一言、「もう1年休学してCOP10やれば?」がその場では冗談と笑ったけど何気に頭に引っ掛かり続ける。 


そして日本に帰ってきた。 

09年8月 
そこで待ってたのはアジア生物多様性ユース会議。 
いまだから言えるけど正直よくわからんかった。 
当時の自分には生物多様性もCOPも知識ナシ。 
農学部だったので最低限の学問的な知識はあったけど・・ 
そして英語も十分ではなく、さらにスタッフが足りていないどうのこうのでスタッフに回ることになり、企画に入れる数も減り、、、そんな感じでもうボロボロ・・・ 


09年9月 全国ギャザリング 
実行委員長として運営。 
テーマの生物多様性はちょこちょこ勉強していたが全然十分じゃなかった。 

でも自分自身が企画したこのイベントで京都議定書ができたCOP3に関わっていた人たちに会い、自分自身がCOP10に向かって活動することを決めた。 
そして休学をすることを決めた。 
自分自身が企画したイベントでだれよりも影響されて、収穫が大きかったのは自分かもしれない。 
いまから考えればこれがまた今に繋がっている。 


でもこのときはまだ自分にとって、「生物多様性」に向けた活動ではなく、 
「COP10という名の日本で行われる国際会議」に向けた活動でしかなかった。 

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COP10を終えて

 COP10に向けて取り組んできた活動がひとくくり迎えようとしています。

先月末にCOP10が終了し、そのとたんにふらっと消えてしまってました。
すいません。


実家に帰り、なにをするでもなく家の周りのふらふらしながら、
考え事をしていました。

自分にとってこの1年間がなんだったのか自分でもまだよくわかっておらず、
なかなかこれからに目を向けきれず、これからどうするのかまだまったくわかりませんが、
自分の中で今はっきりある気持ちは、感謝。

とりあえずこの1年間は本当にいろいろな人に頼り、助けられ、迷惑をかけたのだということ。


側にいて一緒に活動してくれた人たちはもちろん、
自分をこの分野に引っ張り込むきっかけになった人たちであったり、
今回の活動の肝であった愛知ターゲット(ポスト2010年目標)について教えてくれた人たちであったり、
遠く離れていても、COP10に関わりたい、一緒にやりたいと言ってくれた仲間、
いろんなことを教えてくれた他のNGOの方々、
活動のための資金繰りを手伝ってくれた人たち、
つらいときに声をかけてくれた人たち、
自分を叱ってくれた人、
直接話したことも、あるいはあったことすらないのにもかかわらずTwitterなどで応援してくれたたくさんの方々、
ただとにかくがんばれと声をかけ、メールをくれた人たち。

どれだけの人に支えられてここまでこれたんだろう、
どれだけたくさんの人に感謝しないといけないんだろう。

そんな風に思っています。
それが感謝。

みなさん本当にありがとうございました!

残された自分の役割は、「報告と引き継ぎ」 
11月14日にCOP10の報告会を行います。 
自分たちがなにをしてきて、なにが変わったか、COP10で何が決まり、それはどのように評価すべきものなのかの報告会。 

今回関わった人たちをこれでおしまいにはさせちゃいけない。 
自分たちがG8、洞爺湖サミットに関わって今の活動があるように、 
今の人たちにはCOP11もリオ+20とかっていう大事な会議もある。 

どう伝えていくか、どう残していくか、 
自分の果たすべきがけいきの代表として最後の役割。 

COP10は終わりじゃない。 
それは自分含めだれにとっても同じことのはず。 
むしろここからが勝負! 
がんばらないと! 
とりあえずはがけいきの代表としての役割を最後まで。 

PS
がけいきとして、COP10でやったことは本当に意義がある社会を変えられる活動だったと思ってる。 
団体としての成果は誇るべきものだし、そのことはちゃんといろんな人に伝えていきたいと思ってる。 
でもそのことは報告会が終わってからでもまた改めて。。。 

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ユースと生物多様性を主なテーマに活動。
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