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HIRO's Blog

   

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ひろと生物多様性とCOP10 その9 COP10後編

 COP10、2週目。 
10月25日 
このあたりから一気に緊張感は高まっていく。 
議論する時間はもう少ない。 

この日はがけいきでフォーラムを開催。 
いとくんが主導で進め、講演を行った。 
彼はまだ1年生。活動もまだ初めて。 
にもかかわらず、会議の議論の中身を深く追うことができていて、 
生物多様性自体の知識こそまだだけれど、COP10という会議についての議論で言えば、 
自分やまいまいぐらいできるようになっていて、分野によっては彼の方がわかることも。 
将来が本当に楽しみ。 
彼だけじゃない。いろんなメンバーががけいきに入り、初めと比べてものすごく成長している。 
多分自分も。 
そのことはユースの組織として本当に大事なことだと思う。 


10月26日 
翌日からはハイレベルセグメント(閣僚級会合)ということもあり、 
基本的に大まかな議論はこの日まで。 
決めきれなかったことを閣僚級で話し合う。 

いままでだらだらしていた議論もこの日は一気に進む。 
ロビイングも必死にやるが、それだけではもうどうにもならない部分もある。 
どういったアクションができるか、必死にみんなで考える。 

よくない空気が漂うこともしばしば。 
がけ生きないにも緊張感が走る・・・ 

しかし、議論はそれほど進まず、早い段階で翌日に持ち越されることが決まった。 


10月27日 
ハイレベルセグメント初日。 
松本環境大臣からの提案が出される。 
しかし、愛知目標の提案は非常に弱いもの。 

この日から大事な議論は表面化でされることが多くなる。 
官僚レベルの議論と閣僚レベルの議論に分かれ、 
自分たちでは閣僚レベルの議論参加は難しくなってくる。 

議論は遅くまで続く。 
このころには終電で帰るといったことが普通になってくる。 


10月28日 
この日がけいきがしたことは、本当に大きな成果だと思う。 

集団ロビイング 
がけいきのある意味もっとも強い武器はその人数。 
そのときいた2,30人という規模で代表団をあたってのロビイング。 

ユースの主張を伝えた。 
この人数で行くとさすがに対応せざる得ないらしい。 
しっかりこちらの話を聞いてくれたし、意見を教えてくれた。 

大きかったのはアフリカグループの代表に話に行った時。 
「本当に損失をゼロにできると思うのか?」と聞かれ、 
「はい」とそう答えた。 
そしてユースの意見をきちんと受け止める、尊重するという風にいってもらえ、 
損失をゼロにするように動くといってもらえた(時間的拘束力については言及なしだったのが穴だったけど。) 
ほかの国がどういう主張をしているかを逆に聞かれ、ブラジルの状態を伝えるとわかったといって、その交渉官はブラジルの交渉官に話に行った。 

最終的にいくつまわったか忘れてしまったが、 
多くの国の交渉官に話に行った。 

そして、ワーキンググループが始まる。 
生物多様性をゼロに近づける、という表現ではなく、生物多様性の損失をゼロにする。 
という表現を使おうという話が進んでいく。そのこと自体はすごくうれしいことの一方で、 
時間的拘束の論点に問題が残る。 
むしろそちらの方が重要だからだ。 

まずい、という空気が流れる。 
その中でれいらが一言。 
「ひろさん発言してください」 

いや、そんなむちゃ言うなと答えつつ、 
でも、いやありかも。 

と思い、急いで発言内容作成へ。 
もちろん英語での発言だからだ。 
前回と違い練習なしだったが、メンバーとぱぱっと原稿を作り、 
発言を要求するマイクのボタンを押した。 

要求は答えられず、各国の発言が続いていく。 
そして最後の発言を「タイ」にお願いします。 
と言われた時のがっくり感はひどかった。 

でもまだ可能性があるかも、と思い練習は続ける。 

そして、議長から最後にNGOから発言の要求があります。 
NGOの方どうぞ、とのアナウンス。 

発言要求中を意味するマイクのライトの点滅が、 
発言可能を意味する点灯に代わる。 

話すタイミングがわからず、とまどったが、 
Thanky Mr chairから、発言を行った。 

あとは頭真っ白。 
とにかく最後まで言い切った。(途中一文飛ばしそうになったが) 
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普通国際会議でWWFやIUCNのような組織を除いてNGOに、ましてやユースに発言権をあたえられることはほとんどない。 
お飾りのように一番初めのプレナリーで発言を許可されるだけだ。 


だから、この場でユースが発言したできたこと、したことの意味は本当に大きい。 
議論している、その中で発言をしたからだ。 


Thank you Mr chair. 

I am Japanese youth from a group Biodiversity on the Brink. 
私はがけいきに所属する日本のユースです。 
We think it is essential that biodiversity loss be halted as soon as 
possible. 
生物多様性の損失はできる限り早く止める必要がある。 
It is of crucial importance that the time frame “by 2020” 
should refer to halt the loss of biodiversity. 
特に2020年というタイムフレームを損失をゼロにするという言葉にかける必要がある。 
Because once biodiversity is lost, it is almost impossible to 
completely restore. 
なぜなら一度失った生物多様性を完全に回復させることはできない。 

Moreover, the loss of biodiversity is an urgent threat that affects 
every one of us, especially future generations. 
さらに生物多様性の損失はすべての私たちにとって特に次世代にとって緊急の脅威である。 

We and 40 million species cannot wait anymore, and we need strong and 
time-bound mission. 
私たち4万種はもう待つことはできない。私たちに必要なのは強い時間的な拘束力のあるミッションだ! 

We strongly support the mission to read as the following: 
Take effective and urgent action to halt by 2020 the loss of 
biodiversity, in order to ensure… and so on. 

私たちは強く、2020年までに生物多様性の損失をゼロにし、・・・といったミッションを支持する。 

We ask for parties’ support on our proposal. 
私たちの提案をどなたか支持をお願いします。(締約国による支持がないと締約国以外の発言は効力を持たないため) 

Thank you. 


その結果は議長による留意。 
プレナリ―で発言できた時より、よっぽどうれしかったのを覚えてる。 

ところが、一方で名古屋議定書、ABSが採択されないという決定が議長(ABSを議論するグループの議長)の方からされたという情報が入ってくる。 
今回のCOP10では決定できない。11で決定をしようというものだ。 

会場中がいっきにあわただしくなる。 
会場中に緊張感が走る。 

ABSの議定書ができなければ愛知目標の決定はできないという発展途上国も多かった。 
これは単にABS議定書だけなく、悪い目標、いい目標はさておき、そもそも愛知目標の決定がされない危険性がいっきに出てきた瞬間だった。 


しばらくして、松本議長(全体をとおしての議長)の方からやはりがんばって合意をしよう、 
という連絡が各閣僚を通じて官僚へ。 
その叩き台をこの日のうちに作るという話になった。 


そしてまた愛知目標についてはコンタクトグループでの議論へ。 
さっきの調子はどこへやら、議論は時間的拘束力の部分についてよくない方向へ。 

ほんとに議論がやばいところにいったときに前から用意していた緊急アクションを実施。 
PCの画面に『2020年までに損失をゼロに」と表示し、ただ立つだけ。 
会場のなかではバナーなどの使用がものすごく厳しく制限される。 
自分たちの主張をA4サイズの紙に書いてリュックに貼っているだけでアウト。 
取りなさいと指摘される始末。 

自分たちの主張を行うにもルールの外にならないぎりぎりを進む必要があった。 
だからこそのこのアクション。 

大丈夫かな、と不安だったけれどすごいよかった。 
正直自分でも意外なぐらいの効果だった。 

狭い会場にはいり、入口でPCを広げるユースたち。 
そりゃ目立ちます。 

しかも議長から「あなたたちの言いたいことはわかった。けれど、議論の進行を止めるからここにいてていいのでPCは閉じなさい」と言われた。 
しかし、そのことがよかった。 
会場の後ろに立っているので、前見ている人は気付かない人も多い。 
(議長は会場後部を向いて座っているのでばっちり見える) 

議長の発言を受けてみんながいっせいに振り向いて自分たちの主張をみる。 
その多くはさきほどのロビイングではなした国の人たちやさきほどの自分の主張を聞いた人たち。 
自分たちの主張を再確認してもらうことができた。 

そしてこの議論は打ち切られ、この場での決着は流された。 
明らかに会場の雰囲気が変わった瞬間だった。 

しかし、相変わらず愛知目標が合意されないんじゃないのかという緊張感が走る。 

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そして10月29日COP10最終日。 
議論を追いつつ、自分たちの主張を伝えるアクションも行う。 

ひとつ、またひとつと残った論点が決定されていく。 
自分たちが主張してる点は論点の中でも重いもの。 
どんどん後回し、後回しにされていく。 

結局午後からの最後のプレナリ―に間に合わず、プレナリ―は前半と後半に分かれ休憩へ。 
COP10終了予定時刻の18時から外で行われ出したパーティーをしり目に、 
狭い部屋で継続され、議論は続く。 
中国のものすごい反発を受け、保護地域の目標は低い目標で合意されてしまう。 
ミッションについても弱いまま、大まかな合意だね、という雰囲気が流れ、その場は閉じられた。 

9時から始まるといわれたプレナリ―後半。 
夜22時からというアナウンスが流れる。 
しかし22時になってもはじまらない。 
(この時官僚が集まりざわざわと話しているのに気付けなかった。ここで最後のいろんな結論がだされていたはずなのに・・・) 

がけいきとしても最後にアクションをやろうという話がでる。 
けれど、それはがけいきとしてやるべきではないという判断を自分は下した。 
この判断は、みんなに受け入れてもらえるものではなかった。 
かなり厳しいことも言われた。COP10が終わった後、自分が大きく悩んだことの一つだ。 



22時半を回ったころから会議は始まる。 
無機的に、この件についていろんはあるか、ないようだったら決定だ。 
決定しました。という議長の発言が進んでいく。 
たんたんと・・・・ 


そして最後に残ったのが、ABS名古屋議定書と愛知目標と資金動員戦略の3つ。 
どの順番で議論するか、でまずもめ、途中何度かボリビアの発言でもめはしたが、 
なんとか決定。 
ひとつずつの項目について仮合意をとってから、3つまとめて採択するということになっての決定。 

愛知目標の決定はたんたんと勧められ、気づけば決定されていた。 

3つが採択され、みんながたちあがって手をたたく。 
自分の中で感情の整理がつかない。 
自分たちがずっと追って来たものが、望まない形ではあったけれど、 
最低限の合意がされた。 

この決定のための活動がここで終わった。 
いろんなことがありすぎてよくわからない。 
目標ができたことが、終わったことがうれしいのか、 
望まない形での合意が悲しいのか、代表としてちゃんとやれたのか不安なのか、 
最後の自分の判断が正しかったのか疑問に感じているのか、、、 

ただ今は立ちあがって、 
ユースも、NGOも、交渉官も、発展途上国も、先進国も、いろんな人が努力してできた愛知目標の完成を、 
どういった形であれ、がけいきでみんなでやってきたことが結果になったことを 
拍手で迎えようと思った。 
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だれかがいっていた。 
愛知議定書は自分たちの活動の成績表だと。 
がけいきですべてが変えられるわけでも、がけいきの活動がそのまま結果になるわけじゃもちろんない。 

でも、最終的に問題のあった部分について自分たちがもっと活動を行うべきだったことに違いはない。

これが成績表であるなら、これからは悪かったところを直していけばいい。 
そんな風に思った。 

すでに日は変わり、10月30日の午前3時頃。 


急いで最終的にできた愛知目標についての評価を書き、 
参考: http://bit.ly/c66omL  
記者に撒きに行った。 

外は雨が降っていて終電は当たり前だがなく、 
むしろもうすぐ始発という時間で、 
みんなで軽く振り返りの話をしてから、 
車のピストン輸送で入れ替わりで帰った。 

自分の番が来るまでの間、 
だれもいなくなった会場を周り、 
少し写真を撮った。 
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もう終わったことがただ信じられなく、 
何度も何度もお世話になったコンタクトグループの部屋に行ったり、会議場行ったり・・・ 
どこにいってもここであんなことしたな、と思った。 
3週間自分はここにいた。 
大学を休学して、自分の時間を全部生物多様性の活動に、がけいきに充てた。 

そのあとのことはあんまりよく覚えていない。 

車に乗せてもらって帰って、とにかくお酒が飲みたくて、 
ただもうその頃には朝だったから朝ご飯食べて、お酒飲んで死んだように寝た気がする。 

「生物多様性」を守るための活動は終わっていない。 
むしろこれからだ。 
がけっぷちの生物多様性とわたしちの未来がどうなるかは、 
今後10年自分たちが生物多様性とどう向き合い、行動していくかできまる。 
やらなきゃならないことは山ほどある。 

でも、このとき自分の「COP10」に向けた活動は終わった。 

そして明日。がけいきは解散する。

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ひろと生物多様性とCOP10 その8 COP10前編

 ●10月9日。 
名古屋へ。 
まだ2週間あるCOP10もその前の1週間のMOP5も始まってはいない。 
けれど、現場の様子を見たり、条約事務局との打ち合わせのために先に名古屋へ。 


雨が降る中、現地調達で購入するものを集めたりして、 
国際会議場についたのはもう午後。 

国際会議場をみて本当にどきどきしたのを覚えてる。 
これからやるぞ!的な。 

その日、会議場の中に入ることを考えておらず思いっきり私服で来てしまった自分はその日の参加はあきらめ、翌日会議場の中に入る。 

まだほとんどだれも来ていない会議場は静かで、展示物も部分的にまだ準備中で、 
いまからまさに始まるのか、と思っていた。 



COP10で自分たちがやろうとしたことは大きく3つ。 

1.ロビイング 
代表団・交渉官などと話をし、議論を行いながら、自分たちの主張を伝えながら、交渉する。 

2、アクション・パフォーマンス 
自分たちの主張内容をさまざまな方法を用いて表現しながら訴えかける。 
代表団交渉官などに直接訴えかけるアクションとメディアなどを通じ市民などに訴えかけるパフォーマンスの2種類がある。 

3.情報発信 
Twitter,HP,ブログなどを用いた情報発信。 
Twitter:youth_cop10 
HP:http://youthbiodiversity.jimdo.com/ 
ブログ:http://ameblo.jp/gakeiki/ 


1日1日みていきたいと思う。 


●10月11日 
MOP5初日。 
開会式含めひたすら会場の情報や雰囲気をチェックし、関東の仲間に伝えていた。 
そしてその夜行われたレセプションパーティー。 
自分たちにはそこでの重要な任務が。 

「アクション・パフォーマンスの許可をもらうこと。」 
会場の中である程度大きなことを行うには条約事務局の許可が必要。 
そのためにパーティー中に、条約事務局のユース担当者と条約事務局長のところに 
突撃しにいった。 


そのときの返事としてはOK。 
ただ、よく検討していく必要があるし、警備の人との相談も必要だということに。 



そして、それから毎日細かく連絡を取りながら交渉をしていくことに。 
この時名古屋にいたのはまだなおとまりえだけだった。 


まりえは名古屋在住なので、なおと二人で行動することが多くいろんな話をした。 


●10月14日 
ぽん、まいまいが朝から到着。 
この日は実は誕生日でしたが、まったく誕生日祝える状態ではなく、 
ただいろんな人から連絡をいただいて、それに返事をしきれず、 
大変申し訳ないことに・・・ 
特にFacebookで海外の友達の連絡が多くて困った。ごめんなさい。 


この日の夜は少しゆっくりご飯を4人で食べた。 
そのときに自分が小さな頃の話やどうして植物を好きになったのか、といった話をみんなが聞いてくれて、その話ができたのが自分にとってすごくよかったと思う。 
改めてなんのために今自分がこの場所にいるのか、 
COP10を通して自分がやらなければいけないことを再確認する機会になったから。 


●10月15日 
この日に東京からたくさんのメンバーが合流。 
いよいよ活動本番っていう雰囲気が漂ってくる。 
世界中のNGOが行っているCOP10参加始めての人のためのイベントTop 10 for cop10だとかっていったイベントに参加したり、みんなを案内したり。 

この日の夜にCOP10に向けたユース戦略会議を実施、 
しかし、条約事務局との交渉で自分はいけず・・・あれ? 

夜のミーティングでは一人ひとりCOP10に向けた想いを語った。 
不安はなかったわけじゃない。 
でも、名古屋に来て世界を目の前にして、 
自分たちでもできることがあると確信した。 
愛知目標について自分たちが調べ上げてきたことはかなりのものであったし、 
他のNGOからも認められてりう。 
人数も多く、自分たちができることの可能性を自分は信じていたし、 
このメンバーでやれる!とそう思った。 



●10月16日 
この日も多くのメンバーが東京から駆けつける。 
この時点ですでに、おそらく人数では参加しているすべてのNGOの中でも最大人数を誇るチームになっていた。 

この日の午前も引き続きの戦略会議。 
でも自分は忙しくて行けず・・・ 

代わりにNGO全体の戦略会議に参加。 
特に愛知目標(旧名:ポスト2010年目標)の部分を追い続けた。 
いろんな海外NGOの人に自分たちのポジションペーパー(自分たちの主張をまとめたもの)をみてもらったし、それに高い評価をもらった。 
愛知目標を追う、海外NGOの人たちとコネクションができたのもこの頃。 

そしてその夜、条約事務局の担当者との交渉の結果。 
オープニングでのユースとして発言の機会を与えられることが決まった。 


●10月17日(COP10前日) 
16日に引き続き戦略会議でNGOとしてどのような意見を主張していくかという部分で愛知目標の提言を続ける。 

そして午後。 
自分たちにとってはじめてのパフォーマンスを実施。 
名古屋の栄にある公園にたくさんの人を集め、自分たちの主張を人文字で作り、 
メディアの人を呼び撮影を行った。 
会場にいた海外ユースの人もつれてきて、インターナショナルな様子も見せつつ。 
「2020年までに生物多様性の損失をゼロに」という私たちの主張をアピールした。 
COP10の中では初のわたしたちの主張。うまくいくかどきどきだった。 
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夕方 
世界中のユースを集めてのミーティングを実施、 
プレナリ―で発表する内容を決めるためだ。 
その結果、感情的に訴えかける前半と、COP10の主要議題に言及する後半にわけることに。 
そしてその後半部分を自分が担当することになった。 
その場で読んでみて、かなり発音がダメすぎて海外ユースから「どうする?」と雰囲気になり、 
必死で練習してくることを条件になんとか自分が担当することに。 

そして・・・ 
そこからはひたすら練習、練習。 
英語ができるメンバーに何度も何度も聞いてもらいながら必死に練習。 
そして壁にぶち当たる。。。。何回練習しても「continues」のイントネーションがおかしく、治らない。 
ええ、そりゃもう治りませんでした。 
海外にいるときも伝わればいいやん。とかって思ってかなり適当な自分の英語の限界をここで知る・・・ 


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短い時間見つけてひたすら練習 

大爆笑されてますが・・・自分は必至です。 
この夜、ひたすらcontinuesを呟き続けました。 
がけ生き内流行語大賞があれば、間違いなくノミネートされるでしょうという具合。 

明日からはいよいよCOP10開幕。 
ドキドキしながらこの日は睡眠。 

●10月18日 
起きてすぐ発表練習。 
そしてそのあとコンビニへ。新聞チェック! 
その結果・・・ 
機能のパフォーマンス、自分たちの主張が4紙もの新聞に載り、中には1面をかざったり、全国版に載るものもあった。 
がけいきが全国にお目見えした瞬間。 
でも、自分たちにとっての勝負はここから。 

そして会場へ。MOP期間中とは打って変わって動い人。 
NGOミーティングに出た後、ロビイング班は会場の中に入り、開会式に備える。 
※NGOミーティング:世界中のNGOが集まり、情報交換やNGOとしての主張作成などを議論する場。毎日行われる。 

開会式では正直もう緊張で気がどうにかなりそう。 
continuesを連呼。 
COP10のテーマソングを歌うMISIAの生ライブやら重要なあいさつだとかもう馬耳東風で集中できない。 
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そして・・・・ 
会議の時間が押しすぎてNGO・ユースの発表の時間がお流れに・・・ 
緊張から安堵と落胆のギャップがでかすぎてどっと疲れが。 

ほかにもたくさんの議題に入れなかったので翌日の午前にもう一度全体会を設けてそこで話すことに。 

このオープニングの裏では、 
by 2020と書いたTシャツを着て会場の入り口に並ぶアクションを実施。 
ちょっと仕掛けるタイミングが遅れたのが残念だがパフォーマンスをやっているのがうちらだけだったので、そこそこ目立った。 
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そして、その日の午後ははじめての愛知目標についての議論の時間。 
各国代表団がそれぞれのざっとした主張の発表を行うだけで、具体的な議論はせず。 
翌日からのコンタクトグループ(小部屋で行う議論チーム)で具体的な議論に入ることに。 


そして練習時間追加のため、その日の夜も宿泊所ではcontinuesと呟き続ける声が・・・・ 

●10月19日 
NGOミーティングに出た後は、再度のプレナリ―での発言に備え、 
はやめに場所をとりに行き発表の練習を行いながら時間を待つ。 

18日もそうだったけれど、待ち時間の体力・精神力の消耗は本当にひどい。 
また流れるんじゃないかっていうのを心配しながら、むちゃくちゃ緊張しながらただひたすら待機。 
そしてこの日も結局発表できず・・・ 

そのあとしばらく凹みました。。。 
この日体調も少し崩してしまったのもこれが原因だったと思う。 

しかし、また金曜に機会が与えられるとの噂。 

この日からコンタクトグループが開始される。 
本当に狭い部屋で自分は体調をくずしていたこともあり、この日は他のメンバーに任せて帰宅。 
けれどこの日からロビイングは本格開始。 
代表団の人たちと終了後や休み時間を使いながら意見交換を行っていった。 


●10月20日 
コンタクトグループでの議論は全部が全部生産的な話ではなく、自分たちがあまり追っていないところもあるので、休憩しながら聞いたり、ローテーションを回すことを検討し始める。 

一方で日本のNGOは自分たちしかいない。 
いても一部だけしかいなく、全部に参加できているわけではないことに気づく。 
日本のNGOとして自分たちがもっている役割が大きいことを知る。 

この場でどの国がどんな発言をしようと自分たちがそれを発信しない限り、 
この議論が公になることはない。 
その責任を自分たちは担っている。 そう感じた。 


実際この場にメディアの人はたくさんいたが、議論の内容がまったくわかっていないし、ひどい時にはそもそも英語をわかっていない。 

会議終わった後に、政府の代表団に話を聞きに言って、それを記事にする。 
日本のメディアの記事はそういう風にできている。 

これでは、問題があろうとなかろうと政府のいいなりの記事しか書けないし、本当に重要な問題点が隠される。 
だから私たちはこの議論の中身や問題点を外に発信する必要があることを改めて感じた。 
しかも、COP10までに準備され、議論されてきた叩き台はむちゃくちゃ無視され、ここだけ議論しましょ、っていうところ以外からがんがん議論し始めて想定外の事態になっていく。 
これは日本政府としてもそうだったみたい。 


●10月21日 
この日は、日経新聞さんのほうからがけいき1日密着取材の日だった。 
日本のユースNGOで中身について活動しているのは自分たちだけ。 
またこういった会議の中身をパフォーマンスなどのメディアに取り上げられやすい手段をつかって発信していたのはほとんど自分たちだけに近かった。 
だからCOP10の中ではいろんなメディアの人から注目されていたし、逆に政府の人からはマークされていたりもした。 
そんな中でのがけいき密着一日取材だった。 
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またこの日は生物多様性交流フェアのステージでのパフォーマンスを実施。 
こちらも別途新聞に掲載された。 
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●10月22日 
朝から記者ブリーフィングを行う。 
ロビーのちょっとしたスペースに記者の人に声掛け、電話掛けをして呼び、 
現在のポスト2010年目標がどうなっているか、その問題点がどこにあるかについて説明した。 
がけいきの名前が載ることが目的ではなく、愛知目標がきちんとした評価を受けてメディアを通し、報道されることが目的。 

この頃には記者の方たちからも愛知目標を追っている人たちという認識をしてもらえ、 
このあたりどうなっているんですか、どう解釈すればいいんですか?などの連絡もよく来るようになった。 
コンタクトグループの議論が終わった後は、記者の方からこちらに来て意見を聞きに着てもられるようになっていった。 


そして運命の日!? 
この日の午後のプレナリー。 

ユースとしてのステートメントの時間。 
アメリカ人の子と自分のふたりでの主張。 
時間としては本当に短い3分程度のものだったし、 
英語も下手すぎるし、プレナリ―の宣言にどれだけの意味があるかわからない。 
けれど、ずっとこの生物多様性の活動やってきた自分にとって、 
こういう場が与えられて話せたことは本当にうれしかった。よかった。 

生物多様性の問題は今取り組まなければ二度と取り戻すことはできない。 
ちんたらやってる場合じゃないよ!もっとこういう風にしなきゃ! 
思ってはいてもなかなか世界に届かない自分の、ユースの声がここできちんと届き、 
議長の方から「留意されました。」と聞いたときはうれしかった。 


発言の後は緊張で震えて、公式記録の人が自分のところにきて名前を書いてくださいといわれたけれど、手が震えて字が書けなかった。 

がけいきの主張が、世界のユースの主張として発信された場所でもあった。 
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その後いろいろあり、この日は帰宅。 

●10月23,24日 
この日も大まか休み。会議自体も23日はあったが、24日はなく、 
息抜きを兼ねて23日の夜にはちょっとしたパーティも。 
体制を整え直したり、書類の整理などに時間を使った。 



この1週間の議論の流れとしては、 
一番を大きなMissionは個別で話し合われ、あまり自分たちが参加可能な場では議論されず、 
個別項目について全体の意見を聞く、決定できるところは決定して揉めるようなら次へ、といった形での進行。この時点ではほとんどなにも決まっていない。 

日本はとにかく合意させること重視で、あまり発言を行わず、発言しても非常に弱い目標を支持する形での主張が多かった。 


EUは野心的な目標を強く掲げ続けたし、一方で中国は本当に低い目標ばかりを主張し続けた。 
事前にはわからなかったことではあるが、会議の中で先住民族グループの人が手を挙げ、積極て発言を行っていた。 

これは通常まずありえないことで、締約国でない人に対してここまで何度も発言権を与え、発言。そしてまたそれに賛同したり、留意する国がいることであの人の意見は最終的な合意には入らなかったとは言え、議論の中にのっかった。これは愛知目標について話したグループのいい特徴だったと思う。 
(一方でABSのグループでは発言できなかったりそもそもNGOが入れないこともあった) 


こうしてはじめの1週間は終わった。 

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ひろと生物多様性とCOP10 その7

 9月4日 
がけいきの中でも一つの大きな企画、シンポジウムの開催。 
自分たちの集めた賛同や提言を環境省の人を呼んで渡し、 
またディスカッションをする大事なシンポジウム。 

新歓ではいったりょーすけ主導で進めてきた。 
準備の頃は夏休みを経てメンバー全体のコミットが下がり、また自分も地域に回っていたため、 
しっかりこの企画に集中できなかったのはとても後悔。 

特に失敗だったのは呼んだ環境省の人があまり上の立場でなかったってこと。 
そして環境省よりも実際に交渉するのは外務省ということもあり、二人呼ぶべきだったんじゃないかという後悔は残る。 

それでもたくさんの団体から賛同してもらった結果を、自分たちの主張を伝えることができたのは大きな成果。 

全然十分な数ではなかったけれど、こういったシンポジウムにユースの参加者が多く来てくれたことは素直にうれしい。 
1月の段階では講演会をやっても参加者2、3人とか、そんなのざら。 
生物多様性がどんどん普及啓発されてきていることを実感した。 
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けれど、これが終わって本当にこれでよかったのかということについてはいろいろ迷ってしまった。 
もっと自分がしっかり関わって、しっかり考えを巡らせるべきだったという後悔は少なくない。 


煮詰まっていたのもあって、海の大哺乳類展や友達に誘われたコーヒーセミナーにちょっと行ってみたのもこの頃。 
久しぶりに遊んだ!って感じでめちゃ楽しかった。 
そして一回遊びに行っただけのことがこの振り返りに書きたくなるぐらい遊びにいくってことがビックイベントだったことに自分でびっくりする・・・ 


そして名古屋合宿。 
一人先に入って、現地の友達と一緒に改めて自分がいままで見ていなかったところを確認。 
半分観光がてら大阪城にいってきたりもしてました。 
COP10が実際に行われる名古屋にみんなで見に行く。 
このとき感じたのはあと1カ月後にはもう自分たちはまたここにきてCOP10に参加しているんだってこと。 
そしてこの時衝撃だったのはメンバーに向けて行った生物多様性抜き打ちテスト・・・ 
きっかり点が高い人と低い人に分かれているうえ、低い人は低すぎる・・・ 

活動ももちろん重要。 
でも、活動の元になる生物多様性に対する基本的な知識はきちんと大事にしてほしい。 
いままでのどの活動でも思っていた。 
きちんとした根拠、知識を持たず、それを得るための努力をせず、感情だけの活動ほど周りに理解されないし、結果も得られない。 
だからこそ基本的な知識も自然との原体験っていったものを自分は大事にしたかった。 
短い時間だったけど、施設の裏にあったため池にみんなでいっていろいろ見れたり話せたりしたのは本当によかったと思う。 
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名古屋から帰ったと思ったら翌週末にはまた名古屋へ。 
ECPの方で行っていた通訳ボランティアのための説明会のため。 
この頃にはもう一人で回すのは無理になっていて、なおにたくさん手伝ってもらいました。 
想いはあるけれど、それでも自分たちが一番求めるところとはまたちょっと違ったところにあるファンドレイジングの要素も高い企画。 
COP10期間中、こちらの運営には自分はさすがに関われない。 
この企画を一人の人に押しつけて、その子の時間を奪ってしまうことになることが申し訳ないとずっと思っていた。 

このときは顕著だったけど、なにもこの時だけではなくて、 
何のことにしても、メンバーみんなに好きなことだけをお願いできるわけじゃないし、 
好き勝手されていてももちろん困る。 
組織として全体を回していくためにやりたくないことでもお願いしないといけない。 
あたりまえなことだけれど葛藤は常にある。 


そして何より悩んだのは、 
どれだけの人をCOP10につれていくか、だ。 
これはもうほんとに悩んだし、組織的にしっかり合意をとっておかなかったことはまずかった。 

いろんな人に中途半端なことをしてしまったし、 
もっとやれることはたくさんあったとも思う。 
自分の想定とはだいぶ違った部分もある。 

COP10の会場にはみんながみんな入れるわけじゃない。 
組織のメンバーに対して、きちんと組織として認めた人を、組織からの推薦を条約事務局に送って、そして初めて参加が可能になる。 


日本で行われる国際会議なんてそうそうあるもんじゃない。 
そこに参加することで学べることはたくさんある。 

でも、その一方で問題がおこりやすいデリケートな場所でもある。 
なにか問題を起こしたら責任を問われるのは代表であり、組織。 
最悪の場合下手をすれば参加した個人はもちろん組織全体が2度と国連系の会議に 
入ることができなくなる危険性があるし、 
そこまでいかなくても今回の会議に参加しているほかのメンバーが入れなくなったりなどいろんなリスクが起こる可能性がある。 


やっかいなのは本人たちがそんなリスクを冒さない人であっても、 
大丈夫そうだなって思って入った他のNGOの活動に参加したらつかまりかけた。 
そんなことがあるからだ。 
(結果だけ見れば今回のCOPにはそんな人はいなかったが。でもそれは事前には分からない。) 

意識の問題もある。 
どういう立場であれ、そこには会議の内容をそれぞれの人たちにとっていいものにしようとしている真剣な人たちが集まる場。 
そこに遊び半分の人たちがいるのははっきりいって邪魔でもある。 
実際今回の会議でも遊び半分のユースが席に座って(自分たちとは無関係)、会議の内容を聞いていないので政府の代表団の人が満席で立って話を聞いていたり、入れずに帰っていくようなシーンもあった。 

そんな中、「行きたいです!」って言ってくれる人たちに対して、 
どこまでOKを出していいかがわからなかった。 

勉強会に参加して自分の講演聞いている人や推薦を、というルールを設けたけれど、 
結局うまく機能せず・・・ 

かなりエコ・リーグ側ではかなり意識的に参加者を絞った。 
その反面ASJ側ではもともとASJで活動している人という限定はあるけれど、 
かなりゆるく人を入れてきた。 


最終的な人数は両団体合わせて80名を超す。 
この数が多いのか、少ないのかはわからない。 

ただ自分の中でもっと明確なルールをしっかり作ってちゃんとすべきだった。 
少数精鋭にしたいのか、たくさん連れて行きたいのかわからないっていわれたけれど、 
まさにその通りです。 

自分の優柔不断で迷惑かけたみんな本当にごめんなさい。 



そしていよいよ10月。 
皮切りは毎度おなじみのオリセンでの直前合宿。 
がけいきのメンバーは一気に増え、関西のメンバーも来てのCOP10に臨む最終合宿。 
最後に入ってきた人たちに対しての勉強会やCOP10期間中のシミュレーションなどのもりだくさんの合宿。 

でもたぶん自分はこのとき一番参ってた。 
忙しさだとか、責任だとか、がけいきのメンバーが一気に増えて、がけいきの全体に対してオーナーシップを感じられなくなっていたり、でもそれじゃいけなくて。。。 
これでいいのか、悪いのか、どうしたらいいんだろうで迷いすぎて、 
自分の気持ちがよくわからなくなっていた。 

代表として求められるあいさつも、みんなでCOP10への想いを書いた紙にも自分の想いはのっていなくて、 
ただいつも自分が想いを載せて話している「言葉」だけをまねして伝えてた。 

みんなから求められていることを、代表としてしないといけないことは感じてた。 
でも頭に気持ちがついていかず、うまく言えない話せない。 
自分自身にすら正直になれない、そんな状態だった。 

忙しいのは自分だけじゃない。 
だんだんと追い詰められてきているメンバーもたくさんいたし、 
そのフォローもしないといけないと思いながら。 
どうしてもそちらの方に気持ちがついていけない自分がいた。 
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不安は尽きない。 
代表としての責任を、役割を自分は果たせていない。 
COP10まで時間がない。準備は間に合うのか? 
みんなの精神状態、体調は大丈夫か? 
自分たちの主張すらロクに分かっていないあたしいメンバーが多いこの状態でCOP10で成果を出せるのか? 
ロジックは十分か?アクション・パフォーマンスは注目を集められるのか? 
ロビイングは代表団の人たちに相手にしてもらえるのか、話すことができるのか? 

そして、 
がけいきはCOP10で成果を出すことができるのか? 

10月9日忘れもしない雨の日。 
そんな状態の中、他のメンバーより1週間弱ほど早く。 
名古屋へと向かった。 

いよいよMOP5/COP10が始まる。

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ひろと生物多様性とCOP10 その6

 7月末頃。 
自分にとって超ビックイベント。 
スマトラオオコンニャクの開花! 
あまりにものみたさに開演前から並び、2,3時間並んで見て、 
もう一回見たくてもう一回並びました。。。 
こういうのに楽しめる自分をすごい大事にしたいと思うし、何のための活動なのか自分の中で再確認できた機会でもありました。 
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それからまたしばらく東京を離れたところを回って活動。 
日本最大の野外音楽イベントFujiRockでのブース出展。 
アバロンステージでのトークイベントに参加。小さなステージだけど、FujiRockのステージに立って話をできたのはいい経験。 
こんな機会でもないと絶対に行かなかっただろうイベント・・・(個人的には最後の晩にレッドーマーキーで遊んだのがいい思い出。アメリカ思い出してちょっとなつかしかった。) 
忙しい中の参加だったけど、自然の中でのイベントで随分いいリフレッシュになった。 
こういったイベントに来るといつもと同じ説明の仕方をするわけにいかない。 
興味がもともとある人ベースではなく、そうでない人にいかに分かってもらえるように、興味を持ってもらえるように説明するか。そのことを改めて考えるいい経験になった。 
(このイベントの往復が2年ぶりの運転で過去最大サイズの車で新潟まで一人で運転したこともあった。いろいろ問題ありましたが。) 

帰ったと同時に今度は、名古屋へ京都へ。 
今回は一人ではなく、がけいきのかわいらしい(?)女の子3人と一緒での名古屋の会場や周辺下見&京都講演会。 

地域回りするときはいつもだいたい一人だったのでこうやって数人で周るのはひさしぶり。 
メンバーもミーティングなどでしか会わないことが多いのでこうやって何気ない会話がたくさんできる機会はなにげに貴重。 

京都での講演会は同志社大学で開催。 
このとき参加者してくれたのが、ざぶ。そしてほとんど終わりごろに遅刻してきたのがまる。 
そのみんなが最後名古屋でも関わってきてくれたことを考えれば地域回りっていうのは本当に大事。 
(ひたすらいじられた名古屋、京都回りでした。個人的にはもうちょっとたのしいのを期待してたのに・・・) 

ここまで遊びってのをほぼ取らず、植物園いったときだけ。 
半日寝たりだとか、休みはとっていたけれど、遊びに行くことなんてまずなかったし、 
あんまり遊びに行きたいと思うこともなかった。 
そのこと自体にあんまり疑問も感じてなかったんだけど。 
このころASJで花火大会に行こうという話が持ち上がり、めっちゃ行きたかったのですが、講演会とどんぴしゃり。渋谷で話をしに向かう中、街は浴衣の人ばかり。 
自分もいきたかったなぁー遊びに行きたいなぁーとその時思って 
「あ、自分もこういうこと思うんだな」って思ったのをはっきり覚えてる。 

怖いのは気持ちが「固まること」。 
自分の中のどんなに強い思いでも何度も何度も口に出すたびに、いつのまにか想いを話しているのではなく、言葉を話してるようになっているのに気づく。 
何のために活動しているのか、自分にどういう想いがあるのか、頭では理解しているから言葉にはすぐ出せる。でもそこに想いがのっかって来ない。 
今回通して一番つらかったのはそこだと思う。このころぐらいからそういうのは始まりかけていた。 

なんでそうなるのかはよくわからない。 
自分の事を振り返る時間があまりにもなさすぎるのか、 
忙しすぎるのか、精神的に追い詰められているのか、たぶんどれかひとつとかではなく、 
いろんな要因があったんだと思う。自分の気持ちがわからなくなる。 

このころからたまに、新潟の松之山やアメリカの写真を見ながら自分がなんのために活動しているのかを考える時間をとるようになってきた。 

そして国際生物多様性ユース会議(IYC)へ。 
このイベント準備の段階から担当の人ともめまくって結構おおごとになり、 
いろんな人を巻き込んでしまったのを覚えてる。でもやったこと自体に後悔はない。 
会議に参加してみて思ったのは、やっぱりCOP10のことに対してきちんとした理解がほとんどないこと。 
生物多様性の活動は、ローカル、ナショナル、グローバルの段階で考える必要があると最近思うようになった。 
集まったユースは視点がバラバラで、かつ、グローバルな視点、特にCOP10についての知識を持つ人はほとんどいなかった。(ローカル、ナショナルな視点が要らないというわけでなく、比重のバランスが悪いというだけの意味です。) 
また、生物多様性そのものの知識すら危うく、参加者全体のレベルが低かったように思う。 
もちろんそうじゃない人もたくさんいましたが。 

そんな中で作成されようとしているユースとしてのCOP10で発表されるステートメント。 
このレベルが低すぎて泣けた・・・ 
なんでCOP10で2020年までの目標としてやろうとしていることをユースが、2050年までにやってください。といわないといけないわけ?話が分かってなさすぎる! 
と思って、参加者に事前にスカイプで勉強会したり、夜に人集めて説明するなどして必死でやった。 
このときはほんとに寝れなかった・・・ 
その甲斐あってか、最終的にできなものは最低限出してもはずかしくないものレベルに離れたと思ってる。 
でも、ここでの成果はそういったものじゃなく、 
IYCをきっかけにたくさんの人を活動に巻き込めたことだと思う。 
スタッフも含めれば、IYC終了後に4,5人関わってくれた。 
これは本当によかった。 
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これが終わったと思えばそのまま全国ギャザリングへ 
今年も去年の流れをついでか、テーマ型のギャザリング。 
生物多様性もしっかり中に入っていた。 
毎年毎年4泊5日きっちり来ていたのに、今回は初の部分参加。 
IYCの後で疲れ果てていたこともあり、気がついた自分寝ていて周りにだれもいない・・なんてことも。 
でも全国のユースにCOP10と生物多様性のことを伝えられたいい機会でした。 

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ひろと生物多様性とCOP10 その5

 
5月にはいり、自分は1週間弱ほどボルネオへ。 
生物多様性国際ユース会議の事前スタディーツアーとしていってきた。 
自分にとって人生初の熱帯雨林。 
内容は本当に濃かった。 
熱帯雨林の河をクルージングして、 
ほんの数メートル先でいろんなサルをみたり、ゾウをみたり。 
もちろん野生の。 

熱帯雨林に高い橋を掛けた熱帯雨林を説明するための施設では、 
楽しすぎてほんと発狂しそうでした。 

ずっと、ずっと、、昔から好きだった図鑑でみて、 
本物を見てみたいと思い続けた植物とかが、 
実際に自分の目の前に生えている。 
その感動は本当にたまりませんでした! 

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でもだからこそ、活動をやっていてほんとにいいのかと思った自分もいた。 
もともと自分はこういうところで仕事がしたかったっていうことを 
嫌でも感じる結果になり、それが悲しかったし、つらかった。 
それをやめて活動をとるって決めた自分の気持ちにちょっと迷いがでた。 
本当はなにより植物を知る研究がしたかった自分、それよりも守る方に回ることを決めた自分。 
ちょうど反対の選択をした人が周りにいて、だからこそより自分の選択を考えさせられた。 
Wantよりcanより、shouldを取る。 
ちょっとさびしい。 ボルネオ帰ってからもしばらく悩んだ。 
でもやっぱり植物を知っても、生物多様性の損失は止められない。守るための人になろうと改めて思った。 

そしてボルネオから帰ってきてはじめてのミーティング。 
いつの間にかまたメンバー増えてる! 
新歓が終わっていろんなメンバーが一気に入ってきた。 
でも、この時入ってきたメンバーは1年生が多かったり、活動初心者だったり、ほんとに驚くほどパソコンが使えない人がいたり・・・これで大丈夫かな、と正直内心かなり不安に思っていたのを覚えてる。 

その後ASJの事務所でひたすら作業をして・・・ 
広報文に手伝いに来ませんかってのもいれて広報して、フランはそこではいったのを覚えてる。 
迎えた5月22日。 
前日ほぼ徹夜で準備、打ち合わせをした・・・ 
70人ほどのユースが集まり「生物多様性の損失の要因をゼロに!」というメッセージアクションを実施。 

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その結果は毎日新聞にも掲載されました。 
ただ、突貫でやったため、やっぱり参加者への説明があまかったり、企画として不備が目立ってしまった。 
今後は気をつけようと思った。。。 

そしてその夜、次の日と・・・ 
衝撃の電話がありいろんなものが終了。自分の支えが一つ折れた感じでした。活動とは関係ないところで。 
それがあったからこそ基本的にため込み体質だった自分はため込むことが多くなったのかなーと思う。 
自分の責任ですが。でもこの日のことはたぶん忘れない気がする・・・ 

このころからIUCN-Jから委託を受けたECPの事業が始まる。 
WEBの準備などはすでにはじまってましたが、月一回の勉強会、通訳ボランティアの募集などほとんどのことをほぼすべて自分一人でやっていた。 
委託業務なので気は使うしね。いろいろ勉強になりましたが。 

そして6月出前講演ラッシュ。 
名古屋、大阪、エコロ助、そしてとどめの滋賀県立大。 
なにがとどめかっていうと、最後の日帰りのバスの予約日程を間違い、 
仕方ないからヒッチハイクで帰ってきたという・・・ 

すこしずつすこしずつ気持ちの変化はあった。 
ボルネオって要因がもしかしたら一つの大きな要因だったのかもしれないけど、 
講演会を通し、生物多様性そのものを説明していく中で自分自身の理解も深まっていき、 
この頃にはCOP10という会議自体よりも、生物多様性を守るためにという要素が断然強くなってきた。 
ポスト2010年目標そのものへの問題意識も高まり、ユースを巻き込みたいというウェイトが、ポスト2010年目標の決定を変えたいに代わってきた。 

いままで環境活動に対して特定のイシューを持っていなかった自分が、この生物多様性という分野で一生やっていきたいって思うようになった。これは今回の活動を通しての自分の中でのむちゃくちゃ大きな成果だと思う。 

その一方で自分が東京を長く離れたり、5月22日でやりきってしまった人が増えて、いろいろ関わってくれていたメンバーがさっと抜けてしまったり、コミットが落ちてしまったりしていた。 
そのことがつらかったし、悩んだ。 
体調が悪くふらふらしながらでも今日はたくさんの人が来るから帰れないと思ってミーティングの準備して。 
でもふたをあけるとドタキャン5名でいつもとかわらんというかむしろ少ない? 
家に帰って熱を測ると38.5度越えてた時はちょっとくじけそうになった。 


そして7月。 
COP10の100日前であると同時に、参院選挙の日でもあった。 
そして開催したモギセンキョ :http://bit.ly/9Mx0Ho 
はじめて自分とえぐちで意見がぱっかり割れた企画でもあった。 
そしてえぐち主導で進めた企画。意見が分かれたことはネガティブじゃなくて、だからこそ新しい可能性に繋がるときもある。この時は意見が分かれたことがすごくポジティブな結果につながったと思ってる。でも、個人的なコミットは少し少なすぎたのが反省。 

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ユースと生物多様性を主なテーマに活動。
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